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中国史11 西晋〜五胡十六国時代


今回は魏晋南北朝時代についてです。
三国時代は魏の家臣であった司馬氏が魏を乗っ取りを建国します。
晋は呉をも滅ぼして中華統一を果たします。
晋の初代皇帝は司馬炎です。

司馬炎

司馬氏一族は諸葛亮孔明と壮絶な戦いを繰り広げていた司馬懿(しばい)から力をつけていきました。孔明との戦いを繰り広げていた司馬氏一族の軍はとても実戦経験豊富で強かったのです。
なので、魏を乗っ取り中華統一を果たすことができました。
初代皇帝の司馬炎もそんな例にもれず、とても優秀な人物であったと伝わっています。
しかし、彼は中華統一を果たすと政治の関心を急速に失ってしまいました。その理由は不明ですが、一説には認知症の類ではないかとも言われています。
とにかく、この司馬炎の行動によって晋の内政はいきなり混乱に陥ることになってしまいました。

晋の問題点

晋は司馬氏によって建国された王朝で、いわゆる「武人」による政権です。
彼らはこの「武人」たちの力で国を治めようとします。
三国時代の争乱の終結まもない中華各地を「八王」をはじめとする武人たちに収めさせたのです。
そんな中内政は混乱します。司馬炎の政治放棄により、その近臣らが政治を牛耳るような状況になってしましました。
これはのちの反乱の火種になっていきます。

八王の乱

こうした政治状況に不満や危機感を持った各地の王は晋に対して反乱を起こします。いわゆる「八王の乱」です。
この反乱は紆余曲折ありなんとか一時は平定に向かっていきましたが、晋の人口の大部分は失われ、耕地は荒廃していってしまいました。

永嘉の乱

この状況に晋は困り果ててしまいます。もはや晋の国民(漢民族)だけでは国を守ることも、耕地を耕作することもできません。
そんな中二代皇帝恵帝の時に遊牧民族の移住政策が取られます。
これは当時勢力を誇っていた「匈奴」や「鮮卑」といった遊牧民族を中国内部に招き入れて、国を再生させようとする計画です。

しかし、この目論見は失敗に終わります。
この中の匈奴は反乱を起こし洛陽や長安を相次いで攻略、晋は滅ぼされてしまいました。
その後、中国の北方地域(華北)はこれらの諸民族が争いあう混乱の時代に陥ります。
この時代に華北で勢力を築いた遊牧民族らを総称して、五胡と呼びます。
匈奴、鮮卑、羯、氐、羌の5の民族です。
彼らが立てた諸国家が争いあったこの時代のことを五胡十六国時代と呼びます。

北魏

五胡十六国時代を平定し、華北を統一したのは鮮卑が建国した北魏です。
北魏は平城を都として、太武帝の頃に華北を統一しました。孝文帝の頃にのちの王朝にも影響を与える様々な政策が取られていきます。
鮮卑の一族のことを拓跋部と呼ぶことがあります。のちの隋の皇帝もこの拓跋部になります。

東晋

一方、匈奴によって滅亡させられた晋はどうなったのかというと、華南(中国の南部)に興亡します。
こうして華南に立てられた王朝を東晋と呼びます。
また、この東晋と区別するために司馬炎の立てた晋を西晋と呼ぶことがあります。
この東晋から続く5つの王朝がいわゆる南朝です。

チェックリスト

  • 西晋が滅亡した理由について説明できる
  • 五胡十六国時代の五胡とは何か?説明できる
  • 北魏が建国した過程について説明できる

参考サイト

【ゆっくり解説歴史】中国史上最も醜い争い八王の乱【リメイク版】